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ネリリ キルル ハララ

学部1年生のちまちま

#03 映画『帰ってきたヒトラー』

映画

 最近上映していたこの映画、映画館で結局見れず終いだったのだが、TSUTAYAで借りてようやく観ることができた。

 

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 1945年、劣勢にたたされたナチス総統のアドルフ・ヒトラーは自殺を試みたが、なぜかそのまま2014年にタイムスリップしてしまう、という出だしで始まるストーリー。

ブラックジョークをはさみつつも現代社会を痛烈に風刺する映画(というよりはドキュメンタリー色の強い作品)である。

 

難民問題など様々な社会問題を抱えているドイツであるが、日本に住む私たちでは(メルケル首相がどんな政策を行ったか等は新聞やメディアを通して知ることは容易だが)どうしてもその具体的な事情というものを把握するのは難しい。この映画ではヒトラーをモノマネ芸人と勘違いする一般市民たちが、彼の突撃インタビューにおいて難民問題への自分たちの本音を吐露する場面が多く観られる。海に囲まれ、移民や難民との関わりがあまりない生活が当たり前である私たちはそういった問題に対する理解をすることが難しいが、この映画を通して彼らの持つリアルな不満や不安を感じることができた。

 

映画の終盤で、ヒトラーはザヴァツキに向かって「私を選んだのは民衆である」と語っている。ヒトラーの残虐な政策を決して私たちは許してはならず、またそのような歴史を繰り返すことを決してしてはならないが、彼を選んだのはまさしくその当時のドイツ国民たちであるということも私たちは忘れてはならない。

NHK特集の「映像の20世紀」が私は大好きで暇があるとよく観てしまうのだが、その中にちょうどヒトラー政権が誕生しそれを喜ぶドイツ国民たちの映像がある。その映像を見るたびに、「それ」は今の私たちにも全くもって起こりうることだと感じる。当時のドイツは第一次世界大戦で敗れ、巨額の賠償金を負わされ国際的にも経済的にも非常に厳しい状態に置かれていた。それを受けてドイツ国内では民衆による不平不満が大変強まっていた。古来より人々は自分たちが危機的状態に置かれるとその内部で団結をすることが度々歴史上見られるが、それが起きたのがまさしく当時のドイツ国内の様子である。当時の社会情勢を打開することを切望した民衆はそれをヒトラーに託したのだ。その後のヒトラーが行う残虐な政策が彼ら民衆たちの意図していたものから外れていたとしても、彼を自分たちの指導者として選んだのは他でもないその民衆たちであった。

 

得てして歴史というものは(とりわけここ日本においては)過去のものとして軽く扱われてしまうものかもしれないが、これは決して過去の話ではない。今この時においても同じ事態が起きることは全くもってあり得る話だ。現に今日、世界規模で多くの国々に右に傾倒した政権が誕生している。人々の不平や不満をうまく利用し、排他的で国粋的な政策を進める指導者が支持され始めている。この現代社会に第二の「ヒトラー」が誕生する時、私たちは果たしてその存在に気づくことができるのか?そして彼を止めることが可能だろうか?あるいはもうすでに「ヒトラー」は帰ってきているのかもしれない。そんな気持ちにさせる何かがこの映画にはある。

 

帰ってきたヒトラー コレクターズ・エディション [DVD]
 

 

 

 

 

#02 『二十億光年の孤独』 谷川俊太郎

二十億光年の孤独

 

人類は小さな球の上で

眠り起きそして働き

ときどき火星に仲間を欲しがったりする

 

火星人は小さな球の上で

何をしているか  僕は知らない

(或はネリリし キルルし ハララしているか)

しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする

それはまったくたしかなことだ

 

万有引力とは

ひきあう孤独の力である

 

宇宙はひずんでいる

それ故みんなはもとめ合う

 

宇宙はどんどん膨らんでゆく

それ故みんなは不安である

 

二十億光年の孤独に

僕は思わずくしゃみをした

 

 

万有引力とはひきあう孤独の力である」

なんて素敵なフレーズだろう。

 

「宇宙はどんどん膨らんでゆく それ故みんなは不安である」

このフレーズを読むと、コスモポリタニズム(世界市民主義)が頭をよぎった。それまでちっぽけな都市国家の世界しか知らなかった古代人たちは世界がどんどん広がり異質な他者と交流を深めていくことで、だんだんと自分の存在の危うさに冒される。広がっていく宇宙、その中で自己の存在の脆さに不安になるのだ。

 

#01 『イモータル』 萩耿介

萩耿介さんの『イモータル』を読み終えた。

 

 

イモータル (中公文庫)

イモータル (中公文庫)

 

 

 

この本を購入したのは、ちょうど1年前、大学受験を終えてようやく自由に本が読める...!と思いながら本屋へ向かったときである。まさかそのときは読破するのに1年かかるとは夢にも思っていなかった。知り合いにたまたまこの本を知っている人がいて、それを機に再び手に取ったという形で読み始めた。

 

本の内容やあらすじ等は他の方のブログやAmazonレビューを参照していただきたい。(なぜならこのブログの趣旨はあくまでも私自身の感想を垂れ流しにするための超絶完璧自己完結的なものであり、誰かに本を紹介するためのものではないからである。不親切であるとは思うが、そこは承知願いたい。)とはいえ、この後に話を続ける上ではある程度ざっくりとした内容だけでもかいつまんで話さないと進まないのも事実であるので、以下に背表紙に記載されているあらずじを引用する。

インドで消息を絶った兄が残した「智慧の書」。不思議な力を放つその書に導かれ、隆は自らもインドへと旅立った.....。ウパニシャッドからショーペンハウアー、そして現代へ。ムガル帝国の皇子や革命期フランスの学者が時空を超えて結実させた哲学の神髄に迫る、壮大な物語。

「智慧の書」という一つの書物を焦点に当ててムガル帝国、革命期フランス、そして現代と3つの世界が時空を超えてつながっている。世界史や哲学に詳しい人なら特に楽しめる作品であろう。特にムガル帝国が舞台となる章ではその後の史実を知っていたのもあって、なんとも言えない悲しさを感じながら読み進めていた。

 フランス革命期の学者デュペロンの言葉や思想でいくつか印象に残ったものをあげたい。

まずはウパニシャッドラテン語訳の完成を前にしたとき

まずは原典に触れ、未知の思想を体験することだ。訳文に誤りがあったとしても、触れるだけで自分の思想を相対化できる。固まってしまった世界観を外から眺め、組み直すことができる。つまりは他者の存在を認め、理解しようという余裕が生まれる。

自己という存在を考えるにあたっては他者の存在が不可欠である。他者を考え、理解することで、はじめて相対的に自己を捉えることができる。これは時代を超えて共通していることが彼のこの台詞からわかる。

知恵を忘却の彼方に押しやることで得をする連中のせいだ、変化を望まない連中。つまりは足元が脅かされるのを恐れる連中。

これは学問の都アレクサンドリアのその後の退廃を憂いたデュペロンの言葉である。

人間は変化を嫌い、安定を好む性質がある。今の満足できる暮らしを変えたくないという思いで、安定に執着する。しかし歴史を振り返ると、変化を受け入れて柔軟に対応している者が常に次の時代を指導する立場にいることがわかる。革命期のフランスだってそうだ。絶対王政に拘泥し続けた王族や貴族は落ちぶれ、そしてそれまで政治に関わることのなかった身分の者が次の指導者として歴史に現れた。人間は変化が嫌いだ。しかしそれを受容することのできる者が次の成功者となる。

 

本書の第4章はさらに時が遡りムガル帝国が舞台となる。世俗的な周囲の者たちの中で1人神や宗教の世界に没頭する皇子シコーを視点に、父ジャハーンの死からの激動の権力闘争が描かれている。

帝国の存亡はひとえに異教徒との融和にかかっております。帝国に服したいずれの地域も、もとはと言えば異教徒の土地です。融和と共存なくして安定はありません。

われわれは支配者ですが、彼らと共に生きていかなければなりません。そのためには彼らを理解しなければなりません。

人は心を持っております。心を従わせなければ信頼を得ているとは言えず、国を治めていることにもなりません。

いずれもシコーの言葉である。ムガルはインドの地を征服した帝国である。歴史上、世界各地では太古より「征服と隷属」という関係がみられる。この際に重要なのは、その征服した土地にもともと住んでいた原住民との関係である。重税や強制改宗、強制移住などの圧政を繰り返すと、それに強い反発をする人々による反乱が起こり、短命な帝国支配となる。そうではなく、異文化や異宗教を理解し、融和をしながら関係を図ることが長い帝国支配には必須である。シコーは後者の重要性を知り、それを進めようと苦心していた。その表れが異教の聖典を翻訳するというものだ。

結果的に彼は弟たちとの権力闘争に巻き込まれ、処刑される。その後の歴史をみると、彼の弟アウラングゼーブが帝位につくが、彼の圧政によって帝国は斜陽へ傾く。

 

シコーが翻訳した「智慧の書」はやがてヨーロッパに持ち込まれ、フランスの学者デュペロンによってラテン語訳される。それを手にとったショーペンハウアーが「意志と表象としての世界」を書く。この脈々とした歴史の流れを一冊の書物「智慧の書」を中心に現代へとつなげていく壮大な一冊である。

 

開設にあたって

徒然

どうも初めまして、脂身です。

2017年2月17日現在、都内の私立大学に通う1年生です。

 

今回、ブログを開設するにあたり、その動機とどんな内容で続けていくかを軽く書きたいなぁと思い、今パソコンをポチポチしてます。(固苦しく感じるかもしれませんが、一応けじめとして笑)

 

動機は、知り合いの方がこのはてなブログを利用していて、それに触発された、という単純なものです。彼女は哲学を研究されているのですが、その深い思考の過程を明瞭な文章で書き記している様に一種の感動を覚えました。自分の考えを文章化して外に発信するということは簡単なように見えてなかなか難しいものです。一大学生として今後様々な形でその様な力は必要であると感じ、そのための(ある意味で)一つの訓練としてブログに挑戦しようかなぁと思いました。

 

そして肝心の内容ですが、実はあまりきちんと考えておりません。笑

最近読み終わった本の感想とか、大学で学んでいることであるとか、日々の生活の中で何かしら自分の感じたことや考えたことを文章にしていけたらと思います。

いろんな人に読んで欲しい!という感情は正直なところ皆無に等しいのですが、一応このような人の目につくところを活用した方が自分の意識も多少変わりますし、そちらの方が訓練としてはいいだろうと判断した次第です。

早速ちょうど昨日読み終えた本の紹介でも次の回にできたらと思います。どうかこの試みが継続しますように。